Q.小論文の授業で「アクティブ・ラーニング」?
A.はい、可能です。というか「最適」です。
結論からいうと、可能です。というか、小論文の授業は、「アクティブ・ラーニング」させるのに最適だ、と言えるでしょう。
ただ、それを正確に理解していただくためにはちょっと説明が必要です。
少し寄り道しますがお許しくださいね。
そもそも「アクティブ・ラーニング」とは何か?
「アクティブ・ラーニング(active learning)」
流行ってますよね。
まさに教育界の”バズワード(はやり言葉)”。
ただ”バズワード”の常として、「定義が曖昧」で「イメージ先行型」であるため、ぶっちゃけ、あまり議論がかみ合っておらず、現場は大混乱って話はよく聞きます(ですよね? M.Kさん)。
だから個人的にはこの言葉は使いたくないのですけど、まあ、仕方がありません。
「こういう意味で使ったらどうですか?」という提案の意味も込めて、ちょっと交通整理をしてみようと思います。
さて、「アクティブ・ラーニング(以下、AL)」
「アクティブ」と「ラーニング」の2つの単語で成り立っています。
”アクティブ(active)”とは、「活発な、積極的な、意欲的な、活気のある、有効な、効力のある」といった意味。
そして、”ラーニング(learning)”の方は、「勉強や練習、または誰かの教えを通して、何かしらの知識や技術を身に付けること」といった意味です。
つまり、「AL」とは、「積極的、意欲的に知識や技術を身につけること」となります。
では、だれが「アクティブ」に「ラーニング」するのか?
それは当然、「生徒」ですよね。
生徒が学習内容に対して「興味を持って」「熱心に」「自発的に」学ぼうとする”状態”。それが本来の「AL」なのです。
ところが、日本では「AL」が授業の方法論の意味で使われることも多く、そのせいで議論が混乱している、というのが私の見立てです。
よくいわれる「ディスカッション」や「ディベート」や「グループワーク」といった方法自体は、「AL」では、「ない」のに、「アクティブラーニング」と呼称されている。
これら具体的な”方法”は、いわば、「ALを誘発する授業(以下、AL授業)」と呼称すべきものの一部に過ぎないのです。
「AL」という「状態」と「AL授業」という「方法」。
この二つはしっかり分けて考えないといけない、と私自身は思っています。
先生が「AL授業」を行うことで、生徒が「AL」の状態になる。
そして、今までの授業のやり方では、生徒が十分「AL」の状態になっているとは言えないから、やり方を工夫して「AL授業」を確立しよう。
これが現在、一般的な意味で使われる「アクティブ・ラーニング」という言葉の正体であり、それをめぐる議論の本質だと思うのです。
「AL」は目新しいものではない。
でも、そう考えると、ここで当然の疑問が出てきます。
「『AL』っていうけど、それって、昔から優秀な先生の授業を受けた時に生徒の中に起こる”集中した状態”じゃね?」
そうです。昔から優秀な先生は授業を通して生徒の頭の中を「AL」の状態にし、着実に知識や技術を身につけさせてきました。
ソクラテスしかり、マイケル・サンデルしかり、彼らの「AL授業」を受けた生徒たちの多くは、「AL」の状態となり、結果、自ら進んで学び、自らの人生を変えていったのです。
だから、「AL」をなにか特別な状態であると考える必要もありませんし、「AL授業」において、ある特定の方法にこだわるのもナンセンスだと思います。
「アクティブ」であるべきなのは、生徒の頭の中です。昔からいうところの「勉強に集中した」状態です。
そして「AL授業」で採られる方法は、自由、かつ臨機応変であるべきです。
「ディスカッション」「グループワーク」「プロジェクト学習」、そして旧来型の「講義」。方法はどれでもかまいません。
大事なのは、生徒の頭の中に「AL」の状態を作り出すことであり、その「目的」のために、授業の方法という「手段」は自由に選択され、臨機応変に使われるべきなのです。
「AL」という「状態」と「AL授業」という「方法」を分け、先生は生徒が「AL」の状態に入れるよう、柔軟に「AL授業」を構築するべき。
これが私自身の「AL論」です。
「AL」の状態を作り出すためには?
では、先生はどうやって生徒の中に「AL」の状態を作り出したらよいか?
簡単に言うと、生徒に「当事者になってもらう」ことだと私自身は思っています。
つまり、当事者として授業内容に対して「アクティブ」になってもらうのです。
では、人は、どういう時に「アクティブ」になるでしょう。
それは、目の前にある状況が、
「自分にとって大事なものであり」
「自分で考え、自分で解決すべき問題を含み」
なおかつ「自分なら解決できると感じられた」時です。
逆に言うと、「自分に関係がなく」「だれか他人が解決すべき問題だ」と思ったり、「自分では到底解決できないと感じられたりする」状況に対しては、人は「アクティブ」にはなれません。
そして生徒の多くは、最初は後者の状態、つまり授業内容を「他人事」として捉えています(笑)。
だから先生が「AL授業」をしようと思ったら、まずは生徒が「当事者として」「アクティブ」になれる状況を、授業の中で意識的に作っていかなければなりません。
具体的には、自らが教える内容が、
「生徒にとって関係のある大事なもの」であることを伝え、
「そこに含まれる問題を解決することが生徒の人生にとって意味がある」ことを伝える必要があります。
そして授業を通して、「生徒自身でその問題が解決できるようになるための具体的な方法」を教えるのです。
これら三つの働きかけがうまくいくとき、生徒たちは自然に「AL」の状態になり、授業内容はすんなり生徒の中に入っていきます。
「小論文」の授業で「AL」の状態を生み出すには?
現在、私は専門学校で、海外から日本へ留学してきた生徒たちに、日本の大学入試小論文のための授業を行っています。
当然、その授業でも生徒たちが「AL」になれるよう、毎回試行錯誤しているのですが、基本の指導方法は、きわめてオーソドックスなものです。
それは、「とにかく書かせる」こと。
私は年間約40コマほどある授業のほとんどのコマで、生徒に小論文を書かせています。
1コマ90分の授業の中身も、30分以上は自分がしゃべらないようにし、とにかく生徒に文章を書かせることを優先させているのです。
なぜか?
それは、「書く」ことが、一番、「AL」の状態になる近道だからです。
よい小論文を書こうとすれば当然、生徒の頭の中は、「アクティブ」にならざるを得ません。「AL」の状態が深くなればなるほど、答案の質は上がりますし、逆に、真面目に考えなかったり、居眠りをしていたら(=「AL」のレベルが低ければ)、文章は書けません。
ただ、ぼーっと講義を聴いている時とは、比べものにならないくらい、書くときに生徒は集中するのです。
また、じっさい、そうやって書かせまくっていると、生徒の文章力は確実に伸びていきます。
ただ、だからといって、「好きなように書きなさい」といって放置していたのでは、生徒は「AL」の状態にはなりません。また、文章を書けるようにもなりません。
そこには当然、先生の側によい「AL授業」となるような工夫が求められます。
「AL授業」としての小論文の授業
小論文の授業の場合、生徒をスムーズに「AL」の状態に持ち込むためには、まず、
「答案の基本的な書き方」を教える必要があります。
これはたとえば、家づくりにおける「釘の打ち方」や、「かんなのかけ方」のようなものです。
具体的には、私が過去の著作やこのブログで繰り返して書いているような、「設問の要求に過不足なく応える」「プロットをしっかり作る」といった、いわゆる答案作成の技法について説明を行うわけです。
そして、この時も、さらにこの先の実践的な課題演習の時も、私は以下の3つのステップに留意して授業を行うようにしています。
それは、
- 課題内容に興味を持たせる
- 最低限の考える材料を与える
- その課題に応えるための適切な構成を教える
です。
まず、「1,課題内容に興味を持たせる」ようにします。
授業で使う課題を選定する段階から、生徒たちの顔を思い浮かべ、どのくらいこの課題に「食いついてくるか」を考えます。
そしていざ、授業になったら、その課題の内容が「生徒たちにとってどのような意味があるのか」を説明します。
たとえば留学生の大学入試小論文の課題は、やはり異文化理解や日本文化と母国の文化の違いなどを問う問題が多いのですが、そのあたりの具体例や、私自身の体験談を話したり、生徒の経験談などをシェアさせたりすると、がぜん、課題内容に「食いついて」きます。
また、彼らは日本の大学に入学することを目的として来日していますから、その課題が大学入試の問題としてどのような意味を持つかを説明したり、他のクラスの答案の話をして競争心を煽るなど、「絡(から)め手」までフルに使って興味関心を持たせます。
そのうえで、つぎに「2,最低限の考える材料を与える」作業を行います。
これは、1,と地続きになっているのですが、まず生徒がどのくらい課題の要求を理解しているかを質問するところから始めます(これを「レディネス調査」と呼びます)。
たとえば、「ステレオタイプ」や「エスノセントリズム」といったキーワードに関した課題に挑戦させる場合、「”ステレオタイプ”って言葉は知ってる?」という質問から始めて、生徒の反応を見ます。
そこで、生徒がその言葉を知らないようであれば、簡単な用語の説明から入り、用語の意味が生徒の中に入ったら、「じゃあ、”ステレオタイプ”の例を何か知っている人?」と質問して、いくつか”ステレオタイプ”の実例を共有します。
こうすることで課題に向き合い、考えるための必要最低限の材料が生徒の中に入るのです。
また、同様に資料文付きの課題の場合は、意味が分からない単語を解説したり、抽象的な記述は具体化して理解させるなど、あるていど資料文を「揉んで」、生徒が答案作成の時に使えるように「下ごしらえ」します。
こうして、課題内容を理解し、考えるべき内容を理解させたら、あとは答案作成に必要な「3,その課題に応えるための適切な構成を教える」ようにします。
これは生徒の習熟度によって変わるのですが、最初のうちは、大きな答案の流れを教えてしまった方が、生徒はやる気になります。
「設問の要求がこうなっているからこのような構成で書け」「この課題であればこの型を使うと便利」など、理由を添えて適切な構成を教えてあげると、生徒は「自分でもできるかも」と思ってくれ、スムーズに答案作成するようになるのです。
上記1~3のステップは、1と2が、人間が「アクティブ」になる最初の二つの条件(=「自分にとって大事なものであり」「自分で考え、自分で解決すべき問題である」)に対応するものです。そして3,が最後の条件(=「自分なら解決できると感じられる」)を満たすためのものとなります。
こうして、生徒の頭の中が「アクティブ」になる条件を整えてあげてから、「さあ、書いてごらん!」ということになるのです。
さらなる「AL」の高みをめざして
上記1~3のステップがうまくいったときは、生徒は非常に「集中して」答案作成します。つまり、スムーズに「AL」の状態に入ってくれます。
静かな教室には心地よい緊張感が生まれ、かすかに鉛筆が走る音が聞こえてきます。
たしかに書かせる授業は、一見、「アクティブ・ラーニング」の授業にはみえません。
派手な議論も、パワーポイントによるプレゼンテーションもそこにはないからです。
でも、私はこの静謐(せいひつ)な授業を、自信をもって「アクティブ・ラーニングのための授業である」ということができます。
今後の展開としては、
- 生徒の答案を共有した上でのディスカッション
- 教室の外での学びを支援するための書籍や情報源の紹介
にもう少し力を入れてみようかと思っています。
1,のディスカッションについては、小論文の授業はいまは各クラス週に1回しかないため、今まではなかなかディスカッションにまで手が回りませんでした。
しかし、小論文を書いた後にそれについて先生(私)と生徒、あるいは生徒同士で議論することは論理的思考力を鍛えるのに非常に有効です。
今後は、生徒に書かせた答案のなかから、語るべき価値のある答案を共有し、それについてもっと意見交換をしてみようかと思っています。
また、2,の書籍や情報源の紹介については、「AL」の状態を教室の外にまで拡張するために、ぜひ力を入れていこうと思っています。
刺激的な本との1時間の「対話」は、へたな先生の授業1000時間にも勝ります。
私自身を形作ってくれた書籍群、今の問題を考えるための必読記事、そういったものを適宜紹介することで、生徒の生活全体を「AL」状態に持っていきたいともくろんでいます。
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さあ、以上が私の「AL論」、ならびに「AL授業」としての小論文の授業方法です。
M.K.さん、参考になりましたでしょうか?
くりかえしますが、「アクティブ・ラーニング」は授業の方法だけを指すのではありません。
本当に大事なのは生徒の頭の中を「アクティブ」にすることですから、その目的のために手段は柔軟に考えて、M.K.さんらしい小論文の授業を展開していってください。
同じ教科を教える仲間として応援していますし、いつかどこかで小論文の授業論をたたかわせたいですね。
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