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わかりやすい文章を書くために守らなければならい十ヵ条。すべてマスターしてわかりやすい文章を書こう!
次にぜひ覚えておいて欲しいのは、わかりやすい文章を書くためのポイントです。そのポイントを「わかりやすい文章を書くための十ヶ条」として説明します。
この「十ヵ条」の説明では、まず「悪い例文」を読んでもらい、その上で「解説」を読んでもらいます。そしてそれから「書き直し例」を読んでもらうことで、これらのポイントを守ることがいかに重要であるかを理解していただきます。
また、すべての「悪い例文」は、以下の新聞投書に対して意見を書いてもらった小論文から採っています。あなたも、もし可能ならば、同じように以下の新聞投書に対して自分の小論文を書いてみましょう。その上で自分の文章を読みながら、「十ヵ条」の説明を読んでみてください。自分の文章がどのような傾向を持っているかを実感することができるでしょう。
問題
以下の新聞の投書を読んで、自分が思ったことを書きなさい。(400字以内)
だらしなくていいじゃない
(千葉県 中学校教員 男性 43歳)
最近の生徒たちの服装は、だらしない。私の勤めている中学校も、ご多分に漏れないところがある。多くの先生たちは、そのことを良くないこと、恥ずかしいことと思い、一生懸命指導している。
でも、ちょっと待てよ、と私は思う。だらしなくてもいいじゃない。気持ちの問題だと思う。服装の乱れは心の乱れなんて言うのは、頭の固いだれかさんの言うこと。ワイシャツを出している子もいる。カラーTシャツを着ている子もいる。それでいいじゃない。気持ちが優しくて、勉強も、運動も頑張っていれば、それで十分だと思う。
日本の学校は、あまりに形式的なことが多すぎる。起立、礼に始まり、起立、礼に終わる。競技大会といえば、整列行進。形だけできていれば、気持ちが伴わなくても問題にされないようだ。
いま問題になっている「日の丸」「君が代」法制化もそうだ。卒業式に日の丸が掲げられ、君が代を歌えば、教育委員会は満足するものらしい。問題は気持ちだ。心から国を愛する気持ちで歌わなければ意味がないことだし、法制化しても形式的な要件が整うだけで、無意味なことと思う。
服装一つをとってみても、もっと彼・彼女たちの気持ちを尊重してあげられないものだろうか。先生たちの意識の変革を強く望みたい。
- 第一条 一文はできるだけ短く、一文一義で。
悪い例文
私が思ったことは、確かに今の学校は細かい服装の規則をやかましく言って守らせようとしたり、起立、礼などの形式的なことを徹底して守らせるなど直接勉強に関係ないことまで我々を管理しようとしていると思うし、実際に私も同じような経験を受けたことがあるのでよく分かる。
一文に複数の事柄を入れようとすると、主語と述語のねじれや、呼応の副詞(けっして~ない)や係り受け(なぜなら~だからだ)の混乱などが起こり、大変読みづらくなります。
一文一義とは、「一つの文で一つのことをいう」ことです。つまり、一つの文で一つのことだけをいい、そうした短い文の積み重ねで文章を組み立てていくことが、わかりやすい文章への第一歩なのです。
書き直し例
確かに今の学校は、細かい服装の規則をやかましく言って守らせようとしている。また、起立、礼などの形式的なことを徹底して守らせるなど、直接勉強に関係ないことまで我々を管理しようとしている。
実際に私も同じような経験を受けたことがあるのでよく分かる。
- 第二条 接続助詞「が」はなるべく使わない。
悪い例文
このようなことは誰しもが思うことであるが、私も同じような経験をしたことがあるが、そのときはやはりいい気持ちはしなかったが、それは私の友人も同じであった。だが、これはやはり学生時代誰もが経験しているはずだ。
一文が長くなる現場には、かならずといっていいほど、この接続助詞の「が」が現れます。接続助詞の「が」は万能接着剤のように、様々な文をつなげてしまうのです。
ですから、なるべく接続助詞の「が」は使わないようにしましょう。その代わり、文と文ををつなぐ言葉を適切に入れましょう(第四条を参照)
書き直し例
このようなことは誰しもが思うことである。
私も同じような経験をしたことがある。そのときはやはりいい気持ちはしなかった。それは私の友人も同じであった。
これはやはり、学生時代誰もが経験しているはずだ。
- 第三条 主語をなるべくあらわに書きこむ
悪い例文
個人の人権を尊重する現代に、服装や形式のことばかりを厳しく規制することは許されるのでしょうか。こんなことがあってもよいのでしょうか。
たしかに、子どものころはしつけの一環として行うこともあるでしょう。しかし、ただ「ためにする」のであれば、むしろやらない方がよいのではないでしょうか。
主語がない文は、書き手の主体がない文です。このような主語なし文は、自分と他人の区別があいまいなときに生まれます。
例えば、上記例文の「許されるでしょうか」という一文では、「誰が誰を許すのか」「筆者はなぜ、許さないのか」「我々ははなぜ、許さない、と思うべきなのか」といった事柄はわかりません。「小論文」を書くときはなるべく主語をあらわに書くようにしましょう。
書き直し例
個人の人権を尊重する現代に、学校が服装や形式のことばかりを厳しく規制することは適切な対応でしょうか。
たしかに、子どものころは親がしつけの一環として行うこともあるでしょう。しかし、ただ「ためにする」のであれば、むしろやらない方がよいのです。
- 第四条 文と文をつなげる語句をなるべく使う
悪い例文
生徒一人一人の気持ちを尊重することは大切である。学校ではそこまで保障する必要があるのだろうか。 学校は教育の場である。勉強を教えるのは当然だ。一定の社会のルールを教える必要がある。気持ちが尊重されないとしても、やむを得ない。
第二条で、なるべく接続助詞の「が」はつかうべきではない、と説明しました。その代わり、適切に使いこなすべきなのが、接続詞をはじめとする、文と文をつなげる語句なのです。
これらの語句を使用することによって、文と文の関係が明確になり、読み手に自分の主張が伝わりやすくなります。また、そうすることで、自分自身のいいたいことが、論理的に飛躍していないか、自分で確認することも出来ます。
書き直し例
生徒一人一人の気持ちを尊重することは大切である。しかし、学校ではそこまで保障する必要があるのだろうか。
たしかに、学校は教育の場である。勉強を教えるのは当然だ。そして、一定の社会のルールを教える必要がある。だから、気持ちが尊重されないとしても、やむを得ない。
- 第五条 文末はできるだけ簡潔に
悪い例文
筆者の言うことも、わからなくもない。たしかにその通りといえるだろう。
私も同じ教育の現場に立つ者として、学校の「校則」と「個性」の問題には常々考えさせられないわけにはいかない。
文末はなるべく端的にいい切るようにしましょう。例えば次のようにです。
…この例は特殊であるとはいえない。
↓
…この例は特殊ではない。
↓
…この例は普通のことである。
このように、意識的に文末を簡潔にし、いいたいことを明確に表しましょう。ことに「論文型小論文」を書くときには、この原則は非常に重要になります。
書き直し例
筆者の言うことも、理解できる。たしかにその通りだ。
私も同じ教育の現場に立つ者として、学校の「校則」と「個性」の問題には常々考えさせられている。
- 第六条 同じ概念は同じ語で表し続ける
悪い例文
生徒と先生の間柄は、ある面においては対等である。それは、「自由に意見を言いあえること」ということである。
教師は、子どもの言うことに耳を傾けなくてはならない。たとえ子どもであろうとも、意見はその生徒の個性の表れとも言えるからである。
概念(がいねん)というのは、あるものについてみんなが共通に持っている考えの集合体です。例えば、「犬」の概念は、「四本足で毛むくじゃらで、ワンワンと吠え、人なつっこい動物」といったものです。
そして、言葉が違えば、それが指し示す概念も変わるのが原則です。逆に、同じ概念は同じ言葉で表されるのが原則です。その原則に従えば、上記例文における「生徒」「子ども」、「教師」「先生」は、どれか一つの言葉に統一すべきです。
書き直し例
生徒と教師の間柄は、ある面においては対等である。それは、「自由に意見を言いあえること」ということである。
教師は、生徒の言うことに耳を傾けなくてはならない。たとえ生徒であろうとも、意見はその生徒の個性の表れとも言えるからである。
- 第七条 「と思う」「と感じる」「と考える」はなるべく使わない
悪い例文
私はこの人のいうとおりだと思います。
私の高校生活も、校則に縛られたものだったと思います。そのときは、早くこんなところを卒業したいとばかり考えていました。そのことは、今でも間違っていなかったと思っています。
「小論文」、特に「論文型小論文」では、思った「内容」を書くべきで、“思った”という「事実」は書く必要はありません。“感じる”と“考える”も同様です。
ただし、「作文型小論文」ではこの限りではありません。文末の単調さを避けるためにも、適度に使用してください。でも使いすぎは逆に幼い印象を与えるので注意しましょう。
書き直し例
筆者の言うとおりです。
私の高校生活も、校則に縛られたものでした。そのときは、早くこんなところを卒業したいとばかり考えていました。そのことは、今でも変わっていません。
- 第八条 一段落一義で適切に段落分けする
悪い例文
筆者の言うことは納得がいかない。私の中学校の生活を思い出すと、服装が乱れていた人たちは、やはりいわゆる「不良」だった。高校でもそうだった。やはり、服装にはその人の心のようすが表れると思う。
第一条で述べましたが、文は「一文一義」が原則です。それと同じく、段落は「一段落一義」つまり、一つの段落で一つのことをいうのが原則です。特に「論文型小論文」の場合は、一段落がどんなに短くなっても、この原則を守るようにします。
しかし、この原則も「作文型小論文」のときは少しゆるめてもらってもかまいません。また、論文型小論文の時も、200字程度のごく短い文章の時は、段落をつける余裕がないので、この原則の適応外になります。
書き直し例
筆者の言うことは納得がいかない。
私の中学校の生活を思い出すと、服装が乱れていた人たちは、やはりいわゆる「不良」だった。高校でもそうだった。
やはり、服装にはその人の心のようすが表れる。
- 第九条 他者の文章は正確に引用する
悪い例文
筆者は、服装の乱れについていちいち注意する人は結局、形式が守られることだけを求めていると書いている。そして、「日の丸」や「君が代」の問題も、結局は服装についての注意と同じで無意味であると書いている。
上記の例文は、投書を正確に引用していないため、ピントのずれた、投書の内容から離れた文章になっています。このような事態を避けるためにも、他者の文章は正確に引用しましょう。
引用を行うことで、(1)他者の意見と自分の意見をきちんと分けてとらえられ、(2)資料文から目が離れてしまうのを防ぐ、ことができます。
ですから設問に、「要約せよ」と書かれている場合をのぞき、資料文は正確に引用しましょう。
書き直し例
筆者は、「だらしなくてもいいじゃない。気持ちの問題だと思う。」と述べている。また、「『日の丸』『君が代』法制化も、(中略)法制化しても形式的な要件が整うだけで、無意味なことと思う。」と述べている。
- 第十条 他者の文章に対し、文章の内容を越えてその人の人格に言及してはならない
悪い例文
この人は、「起立、礼」という挨拶を無意味であるように書いているが、きっと毎時間の授業のはじめとおわりには、必ず「起立、礼」をやらせているにちがいない。結局は口先だけできれい事を言っているだけで、「生徒の気持ちを尊重」などといいながら、注意するのがいやな臆病者なのだ。
「文は人なり」といいます。確かに文章を読むとその人の人柄や、性格などを感じることが出来ます。しかし、文は文であって、その人本人ではありません。人間は奥深いものです。一片の文章でその人を断定してはいけません。
それにその人の性格までを問題にしてしまっては、物事を正確に論じることが出来なくなってしまいます。他者の意見を論ずるときは、文の内容に限定して論じましょう。
書き直し例
筆者は、形式的なことの例として、「起立、礼」を挙げている。しかし、果たして筆者は、毎回気持ちのこもった「起立、礼」をさせているのだろうか。または、形式だけならばいらないと、廃止しているのだろうか。
形式だけのことを問題視するのであれば、まず自らの行動が伴わなくてはならない。筆者はまず、自らの行動を書いて報告すべきだ。
以上が、わかりやすい文章を書くための十ヵ条です。自分がどんなことに気をつけて文章を書いたらよいか、おわかりいただけましたでしょうか?
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