Q.先生に「頭が固い」と言われました・・・・
A.「柔軟な思考」は人生をhappyにします!
ちょっと具体的な文章を見ていないので、細かい指摘はできないのですが、一般的な内容の方が汎用性があるので、まずは頭を柔らかくして柔軟に思考する方法から説明しますね。そしてそのあと、小論文における柔軟な思考の実例をお見せしたいと思います。
さて、この「柔軟な思考」というもの。
できないよりできた方がよいです。
なぜなら「柔軟な思考」ができると、小論文が書けるようになること以外にも、こんないいことがあるからなんです。
- いろいろなアイディアが出せるようになる
- イヤなことがあっても、すぐに立ち直ることができる。
- 逆境でも心が折れにくくなる。
- 他人が受け入れられるようになる。
- 人間関係のバランスがとれるようになる。
- ユーモアのセンスが身につく。
- どんな時でもhappyでいられるようになり、人生が楽しくなる。
一方、「頭が固く」「視野が狭い」と・・・もう、お分かりですよね?(笑)
「さとちん」さんは、まだ高校2年生ということですから、まだ間に合います。ぜひ、以下のアドバイスを読んでいただき、「柔軟な思考」を身につけていただければと思います。(私自身もこれをつねに意識して毎日の生活を送ろうと思ってます。)
コ〇ンくん、君は間違っている。
「柔軟な思考」を身につけるためには、まず一つ、大事な心構えをする必要があります。
それは、「真実は一つではない」と腹をくくることです。
行く先々で殺人事件が起こる、はた迷惑な小学生探偵(でも頭脳は大人)の決めぜりふに、
「真実はいつもひとつ!」
というのがあるのは「さとちん」さんもご存じだと思うのですが、もし、「柔軟な思考」を身につけたいのであれば、このせりふは忘れましょう。
その代わり、
「真実はひとつじゃない!」
あるいは、
「真実は無数にある!」
と思うようにしてください。
「真実」というのは、「事実」に意味を与えた「ストーリー」の一種であり、その中でも特に多くの人から信じられているもの、といえます。
たとえば、「明治維新」と称される「事実」は一つでしょうが、「明治維新とは何だったのか?」という「真実」を追求し出すと、途端に意見は分かれだし、それこと歴史学者の数だけ「真実」は生まれることでしょう。
つまり、「真実」かどうかは「それを信じている人の数」の問題であり、「真実」によっては、数が拮抗(きっこう)してどちらが真実か簡単に断定できないものや、少数派の「真実」までカウントすれば、それこそ、人間の数だけあるものまであるのです。
たしかに今まで自分が信じてきた真実が、数ある真実の一つに過ぎないと思い直すことは正直キツいことかもしれません。
しかし、「柔軟な思考」は、その先にしかないと思って、まずは「真実は一つではない」と腹をくくりましょう。
柔軟な思考を手に入れるための3つの方法
さて、そうして腹をくくったら、以下の3つの方法を意識して普段の生活を送るようにしてください。
方法その1:大量の情報を仕入れる
まず、一つ目の方法は、「大量の情報を仕入れる」ことです。
じつは、言語による人間の「思考」のほとんどは、既存の知識の組み替えだと言われています。
つまり「新しいアイディア」といわれるものも、本当にまったく新しいものはほとんどなくて、多くは、既存知識の「新しい組み合わせ」にすぎないのです。
たとえば、「iPhone」を開発したスティーブ・ジョブズは、この新しい機器を、「iPod、電話、ネット通信機器を一つにしたモノ」と定義づけました。
それぞれの機器はすでに存在していたものですが、それを一つまとめ上げることで、今までなかったような「新しい」製品を生み出した訳です。
そして組み合わせは素材が多ければ多いほど、その組み合わせ総数は多くなるものです。
たとえば、これは極端な例ですが、「組み合わせ爆発」というものがあります。
すごいですよね?
素材の数がどれだけ組み合わせ数に影響を与えるかイメージできたかと思います。
だから「さとちん」さんも、貪欲に新しい情報をどんどん頭に入れてください。
方法その2:世の中のあらゆるものに「つっこみ」を入れる(誠実に疑う)
柔軟な思考を手に入れるための方法の2つ目は、「あらゆることに”つっこみ”を入れながら生活する」ことです。
これは言い換えれば、あらゆるものを「誠実に疑う」ということ。
私自身は、特に以下の3つに関して、「つっこみ」を入れながら生活するようにしています。
①他人の意見
②言葉そのもの
③自分の実感
まず、これは基本中の基本ですが、①他人の意見はつねにつっこみを入れながら聴くようにしています。
リアルで会う人の意見も、テレビのコメンテーターの発言も、新聞記事も、Webメディアのコラムも、当然、本の筆者の意見もなにもかもです。
「ホントにそう?」
「別な見方、考え方はないかな?」
どんなに偉い人の言葉でも、どんなに数多くの人が賛同する意見でも、「忖度(そんたく)」してはいけません。
まずは一度はつっこみを入れてみて、自分自身の意見を作るようにしてみてください。
自分の意見は、他人の意見との距離によって成り立ちます。
まずはここから始めてみましょう。
つぎに、②言葉そのもの、もつっこみの対象にしましょう。
特に、正義ヅラしたもっともらしい言葉は、必ず疑ってかかってください。
たとえば身近なところで例を挙げると、「普通」という言葉など、まっさきに疑ってかかることをお薦めします。
いったい何をもって「普通」となすのか?
その言葉を発する人、その言葉を受け取る人、そのことがば使われる文脈、を詳しく観察して、いったいこの「普通」とは、どのような「普通」なのかを考えてみてください。
とたんに、世の中の「解像度」が上がるのが実感できると思います。
そして、最後に、一番重要で、一番やっかいなつっこみの対象をご紹介します。
それが、③自分の実感、です。
柔軟な思考を妨げる、もっともやっかいで、手強い相手。それが自分が強く真実だと感じている「実感」です。
あるいは、「好き」「嫌い」の感情、といってもいいかもしれません。
自分が好ましいと思った(あるいは嫌いだと思った)人や物事を、客観的に見るのは、なかなか難しいものです。
好ましいものにはずっと好ましい状態でいて欲しい。嫌いなものはずっと嫌ってもいい状態でいてくれないと困る。
この「こだわり」が、柔軟に物事を見ることを妨げます。
もちろん、感情を持つこと自体は素晴らしいことですし、豊かな感情生活は、そのまま豊かな人生の源です。
しかし、もし柔軟にものごとを見たいのであれば、感じた感情を、「ちょっと脇にどけておく」習慣を身につけてください。
(私自身は、自身が感情にとらわれているなと思ったときは、「ああ、キミはだいぶ〇〇が好き(or嫌い)なんだねぇ」と鏡の中の自分に語りかけ、自分を客観視するようにしています)
そうすることで、いままで好きだった(or嫌いだった)ものの別な顔が見えてくるでしょう。
そしてそれが「誠実に」ものごとにつっこむということなのです。
さて、唐突ですが、「さとちん」さんは、「ラーメンズ」というコンビのコントは見たことがありますでしょうか?
彼らのコントは、非常に柔軟な思考の産物で、「つっこみ」の宝庫です。
たとえば以下の動画を見て、彼らがなににつっこみを入れ、何を疑っているのか考えてみてください。思考を柔軟にするいい練習になりますよ。(決して電車の中では見ないでくださいね)
方法その3:「変化」を愛する
さあ、柔軟に思考するための3つめの方法です。
それは、「変化」を愛すること。
「柔軟」の反対は「硬直」
そして変化の無いところに「硬直」は発生します。(ずっと同じ姿勢でいると肩が凝りますよね。あれと同じです)
だから、柔軟な思考を手に入れたいのなら、つねに「変化」を求めましょう。
特に、以下の3つの変化は重要です。
①ものの見方の「距離」と「向き」を変える。
以前、《こちら》や
《こちら》に
書いたのですが、ものの見方の「距離」と「向き」を変えることは、柔軟な思考に直結します。
私自身は、福田繁雄やM.C.エッシャーの作品を偏愛しているのですが、それは彼らの作品が視点転換の楽しさを教えてくれるからです。
いかがでしょう?
頭の中がぐるぐるして、マッサージされたような気分になりませんか?
ぜひ、「時」「場所」「角度」を変えてものごとを見る癖をつけてください。
②同じことを繰り返さない。
また、同じことを繰り返さないことも、「変化」し続けるためには重要なことです。
「さとちん」さんは、「いつもの〇〇」を持っていますか?
お気に入りの音楽、お気に入りのファッションブランド、お気に入りのスナック菓子、etc.
そういったお気に入りは、いつの間にか「いつもの〇〇」に変化して、いつもそれを選ぶ「くせ」がついてしまいがちです。
たしかに「いつもの〇〇」には、実家に帰ってきたような安心感があるのですが、それはじつは「マンネリ」や「硬直」と表裏一体です。
ぜひ、「いつもの〇〇」を選んでいる自分を見付けたら、意識的にそれを壊してみてください。
たとえば私は、Apple musicを愛用しているのですが、日曜日だけは、「いつものプレイリスト」ではなく、Apple musicが提案してくる「おすすめのプレイリスト」を聴くことにしています。
そうすることで、「変化」を作りだし、新しい世界(この場合は新しい音楽)と出会うようにしているわけです。
「さとちん」さんも、ぜひ意識的に「いつもの〇〇」をぶっ壊してください、
③多種多様な人間と交わる。「旅」に出る。
「さとちん」さんのような高校生にとって、一番の変化をもたらしてくるのは、やはり付き合う人間を変えることでしょう。
仲良しグループはいいものですが、できればちょっと「毛色の違う」人たちとも付き合ってみてください。
付き合ってみると分かると思うのですが、今まで所属していたグループ内の常識は、別なグループ内では非常識だったりします。
同じ人物の評価がまったく正反対だったり、同じものがまったくべつな見方をされていたり、今まで見ていたものは一体何だったのか?と思うくらいです。
具体的には、所属する集団を複数個持つようにしましょう。
そうするだけで、違う物の見方を手に入れることができます。
そして、それをもっと大がかりに、かつドラマチックに体験させてくれるのが、旅に出ることです。
旅に出て、非日常の世界に飛び込むことは、「変化」の最たるもの。
機会があれば、ぜひ、旅に出てください。
再び個人的な話をさせてもらえば、私は20代のころに各地を旅していろいろな人と出会ったことが、今の自分の思考の「幅」を作ってくれたのだと思っています。
「さとちん」さんも旅に出て、いろいろな人と出会って、物の見方を広げてくださいね。
柔軟に思考ができると小論文は自由自在に書ける。
さて、「さとちん」さん、柔軟に思考するために心がけることと生活態度はお分かりいただけましたでしょうか?
これを心がけて生活することで、徐々に柔軟な思考ができるようになるはずです。
そして、柔軟に思考ができるようになれば、小論文の答案も自由自在に書くことができるようになるのです。(正確に言うと書く内容を思いつくのに苦労しなくなります)
たとえば、以下の3つの小論文の答案を読み比べてみてください。
便宜的に「甘口」「中辛」「激辛」と分けてありますが、辛くなるにつれて、資料に対する「つっこみ」が厳しくなっているのがお分かりになると思います。
志望の学部によって、求められるつっこみの強さが異なり(一般的に教育など「お堅い」学部では「甘口」が、芸術系などフリーダムな学部では「辛口」な答案が好まれる傾向にあります)、それに合わせて答案を書き分けたのですが、柔軟に思考ができるようになると、このようにその時の文脈に合わせて最適な答案が作れるようになります。ぜひ、参考にしてください。
それでは参考答案をどうぞ!
下記、「甘口」「中辛」「激辛」の三つの答案は以下の資料文と問いに対する答案となっています。
(前略)
現代社会において、我々が摂取しているもののなかには、情報 information がとても多い。これを「I」とします。で、次が知識 knowledge「K」です。そして、本当の意味での知恵、つまり、人間の賢さというか、判断する力。これをwisdomと言いますから「W」とします。I、K、Wが形作る三角形。これが、仮に私が名付けた「知の三角形」です。
情報に溺れそうだという人たちは、この「I」の摂取量ばかりがやたらと多くて、それを判断するための知識「K」の面積が少ない。さらに最終判断のための「W」の面積は圧倒的に狭い。
(中略)
ネットのなかから情報を得ても、その情報が本当か嘘かを判断しなければならない。情報社会のなかで生きるには、「W」の領域を増やさなければなりませんが、その努力をあまりしないで「I」の摂取ばかりをやっているから、この三角形の形が歪んで、足場が不安定になってグラグラする。だから私たちがやるべきなのは、「知の三角形」の形を正常に戻すことです。
三角形の上方の「I」のスペースを適度にして、真ん中の知識量「K」を増やし、さらに底辺の「W」、判断する能力のスペースを広げていく。こうすれば、この三角形は座りが良くなって安定するわけです。
(後略)
筑紫哲也著『若き友人たちへ:筑紫哲也ラスト・メッセージ』(集英社新書)より
《答案その1》「甘口」
筆者は、「私たちがやるべきなのは、「知の三角形」の形を正常に戻すこと」であると述べる。
では我々はどうやって『知の三角形』のバランスをよくしたらよいか。
我々は「本」を大量に読むべきだ。
なぜなら本は、「情報」をさまざまな角度から検討し、取捨選択して構造化することで「知識」の形にしたものだからだ。
たとえば、誤った情報は本になる過程で取り除かれる。また、ニュースなどでは断片的で分かりづらかった情報も、本になることで構造化され、新たな情報を受け入れる器として機能する。本を読むことで我々は「知識」を身につけ知恵を得ることができるのだ。
そして大切なのは、本を「大量に」読むことである。たくさん本を読むことで知識は複雑化し、より知恵も深くなる。
このように我々は『知の三角形』のバランスをよくしていくべきであろう。
《答案その2》「中辛」
筆者は、「私たちがやるべきなのは、「知の三角形」の形を正常に戻すこと」であると述べる。
しかし、それは不可能である。つまり知識を増やしたとしても知恵の領域は広がらず、「知の三角形」のバランスは改善しないのだ。
なぜなら「情報」と「知識」には本質的な違いはなく、単にそれらを知っているだけでは「知恵」にはならないからだ。
「情報」と「知識」を「知恵」にするのは、なにはともあれ「考える」ことである。「情報」や「知識」どうしを、「考える」ことで結びつけ、そこに自分なりの構造を作り上げたとき、はじめてそれは「知恵」となるのだ。
仮に「知の三角形」なるものが存在し、そのバランスをよくしたいのであれば、「情報」「知識」はあまり区別せずに取り入れ、好奇心のおもむくまま、疑問を解き明かすために考え続けることだ。そうすることで「知恵」は自分のものとなるだろう。
《答案その3》「激辛」
筆者は、「私たちがやるべきなのは、「知の三角形」の形を正常に戻すこと」であると述べる。
しかし、本当に「知の三角形」などというものが存在するのであろうか。
まず筆者が述べる「情報」と「知識」の違いが不明である。「情報」も「知識」も基本的には言葉であり、その境界線は不明確だ。なにが「情報」でなにが「知識」かがはっきりしなければ、筆者のいうように都合良く「知識」だけを取り入れることなど不可能だ。
また、「知識」と「知恵」が関連性を持ち、「知の三角形」の構成要素として機能するという主張も幻想である。「知識」と「知恵」は基本的には関係がない。たとえば人類は戦争に関する「知識」を大量に持っている。しかし、戦いを避ける「知恵」を十分に持っているとは決して言えないだろう。
つまり、もともと「知の三角形」など存在せず、バランスなど取りようがないのだ。
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