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論理的思考力、記述力を評価する「論文型小論文」。まず「資料読みとり型」と「テーマ型」の二大パターンを制覇せよ!
「小論文」の二大柱のもう一方の柱である「論文型小論文」は、学部学科、業種を問わず多くの小論文試験に多く使われ、受験生の知識や日本語や英語の読解力、論理的思考力、などを見るために使われます。
そして、試験に出題される「論文型小論文」は、大きく分けると、資料文があらかじめ与えられ、それについて論ずる「資料読みとり型小論文」と「学歴社会について論ぜよ」などとテーマだけが与えられてそれについて論ずる「テーマ型小論文」に二分されます。
これが典型的な論文型小論文だ!
以下に、典型的な論文型小論文を挙げます。課題は「教育について」(ベネッセ)、制限字数を800字にして作成しました。
「教育について」(ベネッセ)
現代日本の教育は、現在、混迷の極みにある。いじめや学級崩壊、大学生の学力低下など、教育をめぐる問題はすべて一筋縄ではいかない問題だ。そのような現状に対し、文部科学省は、初等科教育において学習内容の精選、完全週休二日制などの導入で、「ゆとりの教育」を進める方針である。
はたして、この方針は、本当に教育にゆとりをもたらすであろうか。
たしかに、学習内容を精選すれば、授業に余裕が生まれるであろう。また、休日が増えれば児童生徒たちの時間的な余裕も増える。しかし、それだけでは本質的なゆとりを教育にもたらすことはできないのではなかろうか。
なぜなら、現在の教育におけるの画一主義がなくならない限り、本質的な改善にはつながらないからである。
私は中学時代、軽い不登校になったことがある。学校までは行けるのだが、教室に入ることができない。結局、毎日保健室に通うことになり、そこで保健の先生にいろいろと悩みを聞いてもらうことで、ふたたび教室に入れるようになった。
いま考えると、中学生の私は、教室が息苦しかったのであろう。そこでは全員同じ行動を要求され、全員が同じ内容の授業を、同じレベルで理解することを要求された。中学時代の私は自分で自分の行動が選べないこと反抗していたのかもしれない。
本質的なゆとりとは結局、行動の自由度のことである。中学時代の私は、保健室という避難所があるということを知っただけで、心にゆとりができ、教室に戻ることができた。学習も同じである。学習内容の精選もたしかに重要だろうが、各自がもっと自由に学習する科目と時間数を選べるようになれば、いまと同じ学習内容でも、もっとゆとりを感じて生徒たちは学べるのではなかろうか。そしてそれが、本当の意味でのゆとりを教育にもたらすことになるのである。
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