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これは「空気を読む」訓練では「ない」。
「空気を読む」
表現自体は昔からあったものですが、今のように頻繁に使われるようになったのは、2007年の「ユーキャンの新語・流行語大賞にエントリーされたころと言われています。
その後、「空気が読めない」「KY」などという表現が出てきて、一気に現代日本語としての市民権を獲得しました。(「KY」はすでに死語かな?)
ただ、最近はちょと行きすぎた感があって、なんでもかんでも「空気を読む」「空気が読めない」でかたづけすぎている印象がなきにしもあらず。
つい、最近も、「あ、それ、”空気読む”とはちょっと違うから」って例にぶち当たりました。
それがこちらのツイート。
今朝うちの9歳児が日本語の国語教科書の音読やってる時に「お父さん、これどういう意味?」って持って来たんですね。うちの子、基本アメリカ人だから、これはレベル高すぎるわ。まさに空気読みの訓練よね。 pic.twitter.com/ffPHZDmkW5
— Hiroyuki Takenaga (@nynuts) 2014, 5月 1
うちの9歳児がさらにわからなかったのが、これ。出たよ、「間」。ここまで来たら「空気芸」よね。ほぼアメリカ人のうちの9歳児にこれ説明すんの、どんだけ難しいか。一生懸命説明してあげたら「間とかどうだっていいじゃん」と一言。 pic.twitter.com/2rc7L55CEc
— Hiroyuki Takenaga (@nynuts) 2014, 5月 1
バーバル(言語的)とノンバーバル(非言語的)なコミュニケーション
この教科書の問題。たしかに、日本的な「表情読み」「間読み」に関する話ではあるのだけど、これは「空気読み」ではないですね。
このツイートに対する反応(魚拓)
https://mobile.twitter.com/nynuts/status/461851368563965952/photo/1
の中にもありますが、これは「ノンバーバル(非言語的)コミュニケーション」を考えさせる問題です。
メラビアンやT.ホールの「かくれた次元」を持ち出すまでもなく、我々は口にした言葉以外のメッセージを大量にやりとりしています。
この問題で言えば、笑いながら「音楽室にノート置き忘れていたよ」と言われれば、その言葉の背後にあるのは、好意的な感情でしょう。非難の感情があったとしても「まったく、あわてんぼさんなんだからぁ♡」くらいのものでしょうか(笑)
一方、怒った顔をして、語気荒く「音楽室にノート置き忘れていたよ!」と言われたならば、「何回置き忘れてんだこのクソガキがっ!」ってくらいの真意は覚悟しなければならないでしょう(^^;)。
また、間を置かない即座の「そんなことないよ!」は、本当にそんなことないと思っているか、「どんなことがあってもボクは君の味方だよ」という気持ちの表れでしょうし、間を置いた「・・・そんなことはないよ。」は、「ぶっちゃけ、キミが間違ってるとは思うんだけど、キミを傷つけたくはないんだよね・・・」といった気持ちの表れでしょう。
このように言葉と同時に大量の非言語的な「サイン」をやりとりしてお互いの「真意」を測り合っているのが、我々のコミュニケーションであり、多少の文化的な違いはあるにせよ、このような「表情読み」「間読み」はどこにでもあるものと言えます。
だから、この教科書の問題を見て、「空気芸」だとか「日本の教育は異常」「学校で教えるものではない」「テストでマルバツは付けられない」というのは、ちょっとずれてるんだよなぁ、というのが私の感想です。
この問題、料理の仕方によってはとても面白い授業になります。いい素材ですよ。私だったらこの動画を見せちゃいますね(笑)
では「空気を読む」とは何か?
で、今回私が面白いな、と思ったのは「空気を読む」ってことに対する、多くの人の反射的な「嫌悪感」です。
たしかにノンバーバルコミュニケーションは「あいまい」で「複雑」で「面倒くさい」ものではあります。
それに加えて日本のそれは、社会の同一性に支えられて本当に「微妙な違い」を読み取ることを我々に要求してくる。
でも、先ほども言ったとおり、ノンバーバルコミュニケーションは、どこの言語・文化にもあるものなんです。
じゃあ、何に対してそれほど「嫌悪感」を持つのかというと、非言語的サインのやりとりの先にある「場を乱さないように」「周囲と摩擦を起こさないように」という「公的抑圧(パブリック・プレッシャー)」に対してなんだろうなと思います。
先日、小学校3年になるうちの息子が、「友達に『空気読め!』と言われた」としょげて帰ってきました。
今の日本社会は、子どもから大人までとにかく「周囲から浮いたり」「(見える形で)事を荒立てたり」することを避けようとする傾向にあります。
この、「窮屈さ」に対する嫌悪感が、「坊主憎けりゃ袈裟までも」で、ノンバーバルコミュニケーションで「表情読み」「間読み」をすることにまで広がってしまったのが、今回のこの一連のツイート群なんじゃないかな、というのが私の結論です。
ということで、私なりの、そして多くの人がつい嫌悪感を抱いてしまう「空気を読む」の定義です。
「明示的に示された言語よりも非言語的なサインに注目して相手の真意を読み取り、周囲との間により摩擦を引き起こさない方向に自らの言動をコントロールすること」
ポイントは後半部分です。
必要以上の抑制。これに多くの人は反射的に嫌悪感を覚えているのです。
必要なのは「空気」をコントロールする力
で、ここから先は蛇足というか発展的思考なんですけど、自分の子どもも含めて、これからの日本の若者に身につけてもらいたいのは、「空気」をコントロールする力だな、とつくづく思います。
細かい微妙な違いを読み取るノンバーバルコミュニケーションのスキル。
これはどんどんマスターすればいい。「真意」は読み取れないより、読み取れた方がいいです。
問題はその先で、なにもつねに「浮かないように」「事を荒立てないように」萎縮している必要は無い。「空気」なんか「無視」したって、自分好みに「書き換え」たっていいんです。
読み取った「空気」をあえて無視する勇気と、「空気」を書き換えるためのテクニック。
この2つを意識して身につけることが、これからの日本人、特に若者には求められているんだと思います。(それと同時に「真意」を汲み取ってもらえなかった時に怒らない訓練も)
ま、大変なことなんですけどね(笑)。
私もつい、「波風立てずに・・・」と思ってしまう自分を見つけて、「やばいやばい」と自分に活を入れる時があります。
「空気」に押しつぶされずに、言いたいこと言って生きるために、一緒に頑張りましょう!
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