日常生活においては、批判だけして対案を示さない「評論家」は嫌われます。
当然です。
自らは安全圏にいて、無責任に誰かの行動を批判する。決して自らが責任をとって動こうとしない。
これでは、だれもその人の言葉をまともに受け取ろうとしないでしょう。
小論文も同じです。
たしかに、現状を分析したとき、そこに解決すべき課題や、その課題の原因を見つけて、暗澹たる気持ちになることはあるかもしれません。
また、的確な分析や批判が、その後の状況を大きく変える価値を持つこともあるでしょう。
しかし、深刻な状況をそのまま提示して、現状を批判し、悦に入っているだけでは何も変わりません。
例を挙げましょう。
・今後、難しい判断を迫られそうだ
・いま政府の対応が問われている
・行政は、今後難しい舵取りを余儀なくされるだろう。
・△△として、重大な関心をもって見つめてゆきたい。
・何が必要か、しっかり考えてほしいものである。
・事案の実態に十分配慮するバランス感覚も求められるであろう。
・子供への悪影響を最小限に抑えるよう大人は努めなければならない。
じつは、これらはある日の新聞各社の「社説」の文末や結びの言葉たちです。
昔にくらべると、ずいぶんつっこんだ「提案」も見られるようになってきたものの、日本の新聞の社説は(社説だからこそ?)見事に「批判ばかりしている人」になっています。
もし、小論文の結びの言葉として、これらに類する表現を用いたならば、その小論文は高い評価を得ることは難しいでしょう。
ことに現実を変える方法を問うことが多い昇進昇格試験などでこのような答案を書いたら致命的です。
たしかに安易な「提案」に飛びつくことは良くないことでしょう。
しかし、最終的に「提案」まで行おうとして物事を深く考えることに意味があるのです。
「では、どうしたらよいか?」という視点を持ち、批判を行ったら、必ず「提案」までする覚悟で小論文は書きましょう。
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